(コーヒーに限らず)美味しいと便利の狭間で思う事


初夏の草原

現在の社会は実に便利になったと思います。

具体的な実感がそれほどあるわけではないのですが、便利ですよね^^;

飲み物も食べ物も、スーパーやコンビニに行けば簡単に手に入るし、美味しい食事処も簡単に調べていくことが出来ます。

今さらっと、全く違う事象を同次元で並べてみました。

とりあえず食べ物を得るのか、満足出来る美味しいものを食べに行くのか、いずれにせよ目的にリーチするためのプロセスがすごく簡単になったのが、現代社会なのかなと思っています。

逆にみんなが敬遠する事と言うのも、何となく見えてきます。

それは、目的にリーチするのにプロセスが複雑なもの。

コーヒーのドリップなんてその典型ですね(汗

美味しいコーヒーを得るだけであれば、自分で複雑な行程を経なくても、美味しいコーヒーを淹れてくれるプロのいるカフェに行ってしまえば良いわけなので。

そうなると、自分の様なコーヒーの自家焙煎店の価値は何なのだろう?

一つ考えられるのは、コーヒーの淹れ方を楽しむ、これが目標になるようにすれば良いのでは?

コーヒーを淹れることが、単にプロセスではなくリーチすべき目的なので有れば、もう少し皆に興味を持ってもらえるかも。

その上で、淹れるコーヒーが美味しければ尚良し。

ボーナスゲットみたいなものです(笑)

美味しいという感情は、人間が生きるための「食」に深く根ざしているものなので、
「食」に飢えていない現代社会では、実はそれほど優先度の高いものではない、そんな気もしています。

その上、美味しいを手に入れるのはそれほど難しくなくなった。
美味しいを目標にしているプロは実に多いですから(て言うかすべての料理関係者がそうですねw)。

自分の立ち位置は「美味しいコーヒーを淹れたい」は当然として、

それ以上に

「楽しくコーヒーを淹れたい」

そこなのかもしれないと思う、今日この頃です。


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