「 産地 」一覧

美味しいコーヒーの産地 ~ブラジル~


ブラジルは世界最大のコーヒー生産国です。
アメリカ大陸には自生しているコーヒーは無く、すべて人の手によって持ち込まれたものです。
1723年にフランスの将校であるガブリエル・ド・クリュが、赴任先のカリブ海東のマルティニーク島(現、フランス海外県マルティニーク)から帰国した折にコーヒーに触れ、再赴任の際にコネを使って入手したコーヒーの苗木を持ち込んだのが最初とされています。
この苗木が中南米のコーヒーの祖と言われ、カリブ海を中心にコーヒーの苗木が移植されていきました。

それから5年後の1727年、ブラジルでコーヒーの生産が始まりました。
最初は赤道直下の地域であるパラ州で始まったといわれています。
ルートについては、ブラジルの北側にあるギアナ(フランス領)からという説が比較的有力です。
植民地としての開拓が始まった、広大な土地を有するブラジルが、コーヒーの栽培に目を付けるのは時間の問題であったともいえます。

1800年代、ヨーロッパは産業革命と戦乱の入り混じった状態で発展をしていきます。
コーヒーを含む多くの食料品、鉱物などが新大陸から輸出されていきました。
ブラジルも、農業、鉱業を中心に発展をしていきました。

その中でもコーヒーはブラジル経済の要であり、1900年代にコーヒーの生産が過剰になると、政府が豆を買い取って、市場を見ながら供給量と価格を操作することによってますます利益を上げるようになりました。
広大なジャングルを開拓して得た農地を背景に、ブラジルは世界最大のコーヒー生産国となったのです。

最初は赤道直下のパラ州から始まったとされるコーヒー生産は、ブラジル全土に広まっていきますが、次第にブラジル中南部のパラナ州、ミナスジェライス州、サンパウロ州での生産が中心となっていきました。
これら地域は、「テーラ・ローシャ(赤い土)」と呼ばれる肥沃な大地を有しており、気候的にもコーヒー生産に適していました。
しかしブラジル南部は近年霜による被害が大きく(熱帯植物であるコーヒーは、霜が降りると枯れてしまう)、霜害対策として生産地は北上し、中部のミナスジェライス州が生産の中心となっています。

ブラジルのコーヒー豆は多くが比較的小粒で、丸みを帯びています。
ブラジルの多くの農園で栽培されている品種としては、ブルボン種に端を発した改良品種で、ムンドノーボといわれるもの、ブルボンの突然変異種で果実が黄色い、アマレロ(イエロー)ブルボンと呼ばれる品種が知られています。

これら品種の特徴は、
・日向でも育つ(シェードツリーがいらない)
・標高の低い地域でも育つ
・収量が多い
・比較的病害虫にも耐性がある

以上のように、大規模プランテーションに向いた性質を持っています。

風味の特徴としては、浅煎りではベリーのような甘酸っぱさが感じられ、深煎りにすると濃厚な風味と、余韻が長く続く特徴が表れてきます。

ブラジルには多くの農園に多くの品種のコーヒーが栽培されていますが、共通して力強いコクと余韻を感じることが多く、ブラジルの土壌に由来した風味ではないかと(個人的には)考えています。



美味しいコーヒーの産地 ~インドネシア~


エチオピア、イエメン、インドと来て、次はインドネシアです。
コーヒーの歴史にはイスラム教とその地域の歴史が深く関係していますが、インドネシアのコーヒーはヨーロッパ人の手により商業目的で移植され、そして発展を遂げてきました。
そのせいもあって、比較的容易に史実を調べることが可能です。

1658年 インドネシア スラウェシ島 オランダ東インド会社が移植を試みる
1680年 インドネシア ジャワ島 イエメン・モカからコーヒーの苗木が移植される
1696年 インドネシア バタヴィア(ジャカルタ)にプランテーションが設置された
1706年 ジャワからアムステルダム植物園にコーヒーの木が届く。
1715年 この木の種子が1715年頃スリナムで育てられ、フランス領ギアナへ伝わった。
1731年 オランダは一時的に停止していたセイロン島でのコーヒー栽培を再開する。
1880年頃 セイロン島のコーヒーはさび病で壊滅し、島では茶の栽培が始められた
     ジャワ島のコーヒーもさび病で壊滅し、従来植えられていたアラビカ種に代えて病虫害に強いロブスタ種が栽培されるようになる。

歴史を見ると、インドネシアで育てられたコーヒーの木がヨーロッパの王室付き植物園に献上され、そこから大西洋を経てアメリカ大陸にコーヒーが伝わったことが判ります。
インドネシアのコーヒーは、コーヒー史の一つの転換点とも言えるのではないでしょうか。

上記年表の最後にあるように、19世紀後半~20世紀初頭に伝染病の一つである「さび病」が流行し、壊滅してしまいます。その後に植え直されたコーヒーは「カネフォラ種ロブスタ」と呼ばれるコーヒーで、それまでのアラビカ種と異なり、低地でも育ち、病害虫に強い特徴を持ったものでした。

しかし、ロブスタは風味的にはアラビカ種より劣り、取引額は非常に安くて、主に工業用加工品(缶コーヒー、添加物)として利用されています。

現在のインドネシアでは、生産量の90%がロブスタ、10%がアラビカです。

わずか10%のアラビカ種ですが、インドネシアのコーヒーは世界的にも特別なコーヒーとして扱われる高い品質を誇っています。

有名なのは
・スマトラ島の「マンデリン」
・スラウェシ島の「トラジャ」

があります。

風味ですが、浅煎りではベリーのような甘酸っぱさが感じられ、
深煎りにするとチョコレートフレーバー、またマンデリンには独特の土の風味が感じられます。

この風味が世界中のコーヒー愛好家を魅了してやまないのですが、この風味の由来はインドネシア独自の生産処理方法にあります。
他の国のコーヒーは、収穫後に果肉月のまま乾燥させるナチュラル製法、果肉を除去して殻を水洗いする水洗式製法がありますが、スマトラのマンデリンは、種の殻も最初に取り除き、生豆の状態で乾燥させます。
この方法は、雨の多いインドネシアで、いかにコーヒー豆を乾燥させるかを考慮した結果生まれた製法ですが、この方法がコーヒーに独自の風味を与え、世界中に愛好家を増やしています。



美味しいコーヒーの産地 ~インド~


************************************
CAFE LUA CHEIAのこだわりのコーヒー
当店自慢の深煎りコーヒー。amazon倉庫からの発送ですので、最速で当日、通常配送でも2日以内にお届け可能です。
amazon恐るべしですね~

今回は「粗挽き」の商品になります。 
 
・マンデリン・ブルーバタック(深煎り)

 
・タンザニア・モンデュール(深煎り)

 
 
品切れになるのが早くて、在庫補充がなかなか追いつかなくて申し訳ありません。

その他商品は、今後在庫を補充していきます。

************************************

インドは紅茶の産地として良く知られていますが、実はコーヒーの産地としても古くから知られています。
歴史的に見ると、インドはエチオピア、イエメンという発祥地以外に初めてコーヒーが移植された地でもあります。

インドに初めてコーヒーを持ち込んだのは、インド人イスラム僧侶、ババ・ブーダン(ババ・バダン)と言われています。
1600年ごろ、ババ・ブーダンはメッカ巡礼の折にコーヒーを知り、帰りにイエメンに立ち寄ってコーヒーの種を7粒、密かに持ち帰ったといわれています。

当時、コーヒー豆は厳しく管理されており、種や苗木をイスラム圏の外に持ち出すことは固く禁じられていました。
飲料用のコーヒー豆は、すべて一度お湯に通し、発芽不能な状態にして輸出されていたくらいです。

しかし、ババ・ブーダンは厳重な管理の目をかいくぐり、コーヒーの種をインドに持ち帰ることに成功、インド南部のマイソール丘陵地に種を植えました。
そのうちの一粒が無事に発芽し、現在のインドコーヒーのルーツになったといわれています。

その後インドはイギリス領となり、紅茶の産地として有名になっていきます。
これには、統治国であるイギリスで紅茶が流行したこと、18世紀後半にインドのコーヒーが伝染病で全滅したことが影響しています。

しかし現在ではコーヒーの産地としても復活し、世界第5位のコーヒーの生産国です。
ただし世界シェアは5%程度ですが。

インドコーヒーで現在日本で入手できるものでは、モンスーンと呼ばれるコーヒーが比較的有名です。

大航海時代、インドからコーヒーをヨーロッパに輸送するのに、帆船で半年かかりました。
収穫時にはきれいな緑色だったコーヒーも、船倉に置かれることで金色に変わりました。
このコーヒーはまろやかで独特の風味を持っていたといわれています。

時代は進み、輸送手段が帆船から蒸気船に変わり、スエズ運河が開かれると、インドーヨーロッパ間の輸送期間は大幅に短縮され、金色のコーヒーは姿を消しました。

しかしこの、インドを想起させるコーヒー豆は多くの人がその風味を懐かしみ、黄金のコーヒーを求める声は日増しに高まりました。そこでインドでは、5~7月に吹く貿易風の時期を利用して、黄金色のコーヒーを再現し、現在も作り続けています。

収穫されたコーヒー豆は袋に詰められ、風通しの良い倉庫に、コーヒーに風が当たるように間隔をあけて置かれます。
コーヒーは数日ごとに袋を詰替えて再度配置されます。
6~7週間後には緑色のコーヒーは黄金色のコーヒーになり、モンスーンコーヒーとして出荷されていきます。

なんだか美味しそうですね。
私も、記事を書きながら飲んでみたくなりました。
機会があったら、仕入れてみようと思います。